沿革

大正 6年1月 20数名集まり、同窓会創立の発会式をあげる。
12年4月 白形要初代幹事長に就任。
昭和7年4月 越智登2代幹事長に就任
15年4月 母校創立30周年ならびに皇紀2600年記念事業として、同窓会館の設立を計画したが、
募金額が目標額を大きく下廻ったので、やむなく兵器購入費にあてる。醵金総額6,857円57銭。
16年4月 御真影奉安殿の建設に同窓有志が協力。
  18年4月 玉岡周三郎3代幹事長に就任。
  21年4月 東洋レーヨン愛媛工場松工会が発足す。
  22年4月 門屋知照4代幹事長に就任。
    8月 バラック建ての復旧工事は進んだが、設備がきわめて不備のため、各教員が分担して同窓有志から約10万円を募る。 
    12月 戦後初めて会員名簿を発行。年会費30円納入者には無料贈呈する。
  24年 9月 学制改革により松山第二高校・伊予実業と三校が統合したため、松山南高等学校同窓会と改称。
門屋知照会長に推される。
  27年 4月 丸善石油松山製油所松山工高同窓会が発足す。
   7月 図書館設立募金を始める。
  28年 4月 会員名簿発行。
   9月 同窓会・PTAで松山工業高等学校独立期成同盟会が結成され、門屋会長ら活躍される。
  29年 3月 分離独立のため松山工業高等学校同窓会に改める。門屋知照会長に就任。
   5月 独立後の第1回総会を道後公会堂で開く。参加者120人。
     7月 松山南高校時代の図書館設立募金21万9,700円を本館の復興建築資金に据えおく。
     9月 復興建築募金(目標額300万円)を同窓2,350人によびかける。醵金総額210万1,310円となる。
    12月 今治支部創立総会を開く。
  30年 5月 大阪・名古屋・東京各支部の創立総会を開く。
同窓会、PTA、母校の三者で就職斡旋委員会が設けられ、会長に門屋知照が推される。
     6月 門屋会長が一身上の都合により辞職されたので、越智登会長を代行。
     7月 会報の創刊号を発行、卒業生3,500人に送る。年1回の発行予定。
     8月 中国支部創立総会を開く。
  31年 5月 越智登5代会長に就任。京都支部の創立総会が開かれる。出席者20人。
    6月 周桑支部創立総会を開く。東京支部を関東支部に改める。
    11月 本館、施工実習場、体育館兼講堂、理科教棟の竣工式典並びに学校公開が繰り広げられた。
卒業生でビクター所属の明石光司(本名、定時制機械科昭和30年卒の内藤高徳)も出演し花を添える。
  32年 3月 会員名簿発行。
      4月 新居浜支部、大阪曹達松山工場三ツ葉会が生まれる。
33年 6月 募金目標額を320万円として、創立50周年記念図書館建築募金を始める。
再三にわたる募金のため成績あがらず。寄付金額70万3,800円
34年 4月 周桑支部が東予支部に改称。
11月 母校創立50周年記念式典をあげる。歴代校長の掲額をする。
35年 4月 卒業生・PTAで野球部の振興発展を援助する目的で、松山工業高等学校野球部後援会をつくる。
36年 3月 会員名簿発行。
8月 学校関係者らの好意により、さきの復興建築募金と他からの融資もあって、やっと鉄筋一階建ての図書館を新築する。
37年 7月 高知支部の創立総会を開く。
38年 5月 久万支部が創立される。
39年 3月 新浜支部から母校に記念樹が贈られる。
4月 松山市役所松工会と泉州地区松工会が創立される。
5月 門屋知照6代会長に再任。
6月 神戸支部の創立総会を開く。
7月 中国地方一周の自動車部を援助す。
40年 5月 顧問制を設け、越智登推薦される。
10月 同窓会入会金450円を900円に改正し、納入方法は次の通りとする。
全日制は900円を在学中の3年間に300円あて分納する。定時制は900円を卒業年度に納入する。
歴代会長の掲額を同窓会室にする。
12月 図書館の内容充実費として、39年度卒業生から募金した4万2,600円を寄付。
41年 5月 母校に10年以上勤続した職員が退転職する際に、一律に3,000円程度の記念品を贈る内規を設ける。名古屋支店を東海支部に改める。
9月 第1回職域対抗ソフトボール大会を開く。16チームが参加して優勝を争い丸善石油Bチームが優勝、帝人が準優勝。この大会を毎年9月中旬に行う。
優勝旗は、小崎修・渡辺一志・門屋知照、準優勝杯は、山路干城の寄贈による。
12月 図書館の内容充実のため、40年度卒業生から募金した2万6,000円を寄付。
42年 3月 会員名簿発行。
9月 第2回職域対抗ソフトボール大会を開く。20チーム参加。1位東レA、2位母校生徒同好会。
11月 岡田安一(大3家卒)、勲五等瑞宝章を授けられる。
43年 2月 同窓会入会歓迎式のときに、1万人目の卒業生となった定時制建築科の小椋保夫に記念品を贈呈。
6月 勲五等瑞宝章を授けられた建築科第1回卒業の小崎修の叙勲祝賀会を行う。
9月 第3回職域対抗ソフトボール大会を開く。22チーム参加、1位松山市役所、2位件公営企業局。
44年 9月 創立60周年記念実行委員会に同窓会から10人参画す。
第4回職域対抗ソフトボール大会を開く。20チーム参加、1位新居浜、2位松山市役所A。
10月 60周年記念行事に工学博士池田哲夫(昭和14年土木科卒)が「本州・四国連絡架橋計画」の記念講演を行う。
12月 八幡浜支部創立総会を開く。
45年 1月 社名変更により、東洋レーヨン愛媛工場松工会は東レ愛媛工場松工会となる。
5月 八幡浜支部を八西松工会に改める。
6月 60周年記念誌の発行資金として20万円を負担する。
9月 第5回職域対抗ソフトボール大会を開く。20チーム参加、1位丸善石油、2位新居浜B。
11月 新体育館の内容充実、関連施設の整備・拡充資金として卒業生から募金した814万8,415円を母校に贈る。(醵金目標金額600万円)。
12月 会報12号までを発行してきたが経営的理由で、特集号を持って廃刊する。
46年 9月 第5回職域対抗ソフトボール大会を開く。20チーム参加、1位丸善石油、2位愛媛土建。
47年 9月 第7回職域対抗ソフトボール大会を開く。22チーム参加、1位丸善石油B、2位丸善石油A。
48年 2月 入会記念品として渡していた文鎮を今年度よりネクタイピンとする。
6月 会員名簿1,000部発行。
9月 愛媛県庁支部が創立される。
第8回職域対抗ソフトボール大会を開く。15チーム参加、1位(延長8回)東レ、2位丸善石油B。
49年 9月 第9回職域対抗ソフトボール大会を開く。14チーム参加、1位母校OB、2位新居浜。
50年11月 第10回職域対抗ソフトボール大会を開く。20チーム参加、1位(5回日没)東レ、2位松山市役所B。
51年 3月 本館改築について、県当局に陳情する。
11月 門屋知照、勲四等瑞宝章、玉岡周三郎、勲五等瑞宝章を授けられる。
第11回職域対抗ソフトボール大会を開く。20チーム参加、1位(延長9回抽選勝)丸善石油、2位井関農機。
12月 門屋、玉岡両氏の叙勲祝賀会を行う。
52年 6月 大阪曹達松山工場三ツ葉会が、松工同窓会大曹支部に改称される。
7月 創立70周年記念事業の第1回実行委員会(同窓会6、PTA6、母校7名)が開かれ、本館改築の推進を決める。
11月 第12回職域対抗ソフトボール大会を開く。20チーム参加、1位帝人愛媛、2位四国電力。
53年 4月 丸善石油松山工業高等学校同窓会を、丸善石油松工同窓会に改める。
5月 同窓会本部の総会出席者が、400名を突破する。
11月 第13回職域対抗ソフトボール大会を開く。14チーム参加、1位母校OB、2位八西会。
54年 3月 卒業生1万5千名突破を記念して、全日制建築科小笠原貴久に記念時計を贈る。
5月 創立70周年記念事業として、会員名簿の発刊と記念館建設を決議。建設募金目標額6,000万円。
同窓会入会金の値上げを決定。会則第14条の入会金額の改正を了解。
北条支部の発足を承認する。
9月 900円であった同窓会入会金を2,000円に改正し、会則第15条の会費を2,000円に訂正。
10月 創立70周年記念式典に、本会役員並びに各支部長出席。
第14回職域対抗ソフトボール大会を創立70周年記念大会として開く。参加18チーム。1位帝人、2位新居浜。
11月 記念会館建築寄付金1万円以上寄付者に、創立70周年記念誌を贈呈する。
会員名簿1,500部発行。
55年11月 第15回職域対抗ソフトボール大会を開く。
20チーム参加、1位北条、2位帝人愛媛。
56年 6月 創立70周年記念会館「百錬館」落成。
7月 四国電力支部の設立総会を開く。
11月 第16回職域対抗ソフトボール大会を開く。
19チーム参加、1位帝人愛媛、2位北条。
57年 5月 立町芳行7代会長に就任。
NHK支部の設立総会を開く。
11月 第17回職域対抗ソフトボール大会を開く。
18チーム参加、午後雨のため北条支部と四国電力支部の決勝は行われず。
菅野照夫(昭和11年家卒)黄綬褒章を授けられる。
58年11月 第18回職域対抗ソフトボール大会を開く。
17チーム参加、1位帝人化成、2位県庁支部。
59年 5月 会則第5条の一部を改正する。
門屋知照前会長を名誉会長に推挙し感謝状を贈る。
9月 創立75周年。
創立75周年記念名簿発刊の準備に着手する。
11月 第19回職域対抗ソフトボール大会を開く。
13チーム参加、1位帝人化成、2位井関農機。
60年 3月 卒業生18,138名(内定時制2,450名)となる。
18,000番の卒業生全日制電気科安部和孝にお記念時計を贈る。
11月 第20回職域対抗ソフトボール大会を開く。11チーム参加、1位帝人化成、2位愛媛土建。
創立75周年記念会員名簿4,000部発行。
61年 9月 第21回職域対抗ソフトボール大会を開く。
15チーム参加、1位帝人化成、2位新居浜支部。
62年 9月 第22回職域対抗ソフトボール大会を開く。
15チーム参加、1位コスモ松山石油支部、2位松山市役所支部。
11月 菅野同窓会顧問(昭11土卒)勲五等瑞宝章を授けられる。
63年 1月 菅野照夫氏の叙勲祝賀会を行う。
2月 四国製作所支部設立。支部長 大野則男。
5月 福井善夫(昭11土卒)勲五等瑞宝章を授けられる。
三浦保(昭20機卒)黄綬褒章を授けられる。
二神組グループ支部設立。支部長 光岡澄物。
9月 第23回職域対抗ソフトボール大会を開く。
16チーム参加、1位新居浜支部、2位松山市公営企業局。
平成元年 5月 会則について各条文の表現を改正する。
9月 第24回松工創立80周年記念職域対抗ソフトボール大会を開く。
13チーム参加、1位四国電力支部、2位井関農機。
11月 創立80周年記念式典。記念講演講師立町同窓会長 演題「心を拡げよう」
同窓会として初めて文化祭に参加「校史写真展」。
12月 創立80周年記念として「校史写真集」(1,000部)を発刊。
2年 3月 卒業生20,394名(内定時制2,574名)となる。
20,000人目の卒業生全日制建築科小原宏昭君に記念品として時計を贈呈。
5月 三浦保副会長が第8代会長に就任。
10月 第25回職域対抗ソフトボール大会を開く。
9チーム参加、1位帝人化成、2位井関農機。
11月 立町芳行顧問(昭15染織卒)勲五等双光旭日章を授けられる。
3年 1月 立町芳行氏の叙勲祝賀会を行う。
3月 卒業生20,832名(内定時制2,590名)となる。
9月 平成3年版同窓会員名簿(第9号)発行。
第26回職域対抗ソフトボール大会。
7チーム参加、1位帝人化成、2位松山市役所支部。
4年 3月 卒業生21,271名となる。
9月 第27回職域対抗ソフトボール大会。
9チーム参加、1位ダイソー支部、2位北条支部。
5年 3月 卒業生21,725名となる。
10月 第28回職域対抗ソフトボール大会。
11チーム参加、1位井関農機支部、2位コスモ松山石油支部。
6年 3月 卒業生22,171名となる。
10月 第29回職域対抗ソフトボール大会。
9チーム参加、1位コスモ松山石油支部、2位北条支部。
7年 1月 阪神大震災の見舞金を松工同窓会神戸支部へ送る。
3月 卒業生22,625名となる。
10月 第30回職域対抗ソフトボール大会。
13チーム参加、1位井関農機支部、2位北条支部。
8年 3月 卒業生23,080名となる。
松工発祥の地記念碑建立(現番町小学校南西の角地)。
6月 菅野照夫同窓会顧問ご逝去。
9月 三浦保同窓会長ご逝去。
第31回職域対抗ソフトボール大会。
9チーム参加、1位北条支部、2位松下寿電子工業。
9年 3月 卒業生23,531名となる。
宇都宮乾海同窓会副会長ご逝去。
5月 第9代会長に片岡治氏が就任(3月より会長代行)。
10月 第32回職域対抗ソフトボール大会。
9チーム参加、1位伊予銀行、2位北条支部。
10年 3月 卒業生23,985名となる。
10月 第33回職域対抗ソフトボール大会。
8チーム参加、1位伊予銀行、2位北条支部。
11年 3月 卒業生24,425名となる。
6月 体育館の校歌額を新調。
11月 創立90周年記念式典 片岡治会長記念講演「私の青春…十年の歩み…」
第34回職域対抗ソフトボール大会。
11チーム参加、1位北条支部、2位松下寿電子工業松工会。
12年 3月 卒業生429名を送り、24,854名となる
5月 100周年記念準備基金設立
10月 第35回職域対抗ソフトボール大会。
8チーム参加、1位北条支部、2位伊予銀行グループ
13年 3月 卒業生442名を送り、25,296名となる
5月 2000円であった同窓会入会金を5000円に改正し、会則15条の会費を5000円に改正
10月 第36回職域対抗ソフトボール大会。
11チーム参加、1位松山市役所支部、2位伊予銀行グループ
14年 3月 卒業生425名を送り、25,721名となる
日本画家大政穂積氏(昭22年土木卒)50号作品「松山城」を図書館落成にあたり寄贈。
5月 第10代会長に仲川芳高氏が就任。
10月 第37回職域対抗ソフトボール大会。
8チーム参加、1位松下寿電子グループ、2位伊予銀行グループ。
15年 3月 卒業生427名を送り、26,148名となる。
7月 松工発祥記念碑改修。
10月 第38回職域対抗ソフトボール大会。
7チーム参加、1位井関農機支部、2位松下寿電子グループ